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【川崎】思ったより長生きしてくれた(在宅介護編)

更新日:4月22日



思ったより長生きしてくれた(在宅介護編)

「三男の嫁は、一族の奴隷なのですか?それなら離婚してください。」


三男のお嫁さんの悲痛な叫びはどこまで届くのでしょうか?

三男もお嫁さんを守ろうと奮闘しますが・・・そんなご夫婦からの相談をご紹介します。


父親と仲が悪いご兄弟が在宅介護を始める



91歳になるお父さまは、上海で生まれました。幼少期を上海ですごし両親と帰国。

ほどなくして太平洋戦争が始まります。


予科練にいる間に太平洋戦争が終戦を迎え、働き始めます。


そんな時、会社の縁で奥さまと出会いました。

明治・大正期に横浜港の貿易で財を築いた一族の娘さんの元に婿入りする形で結婚しました。


お父さまは、奥さま一族への劣等感と闘いながら奮闘し、お仕事で一財を築きました。

ご家庭では三男・一女を授かり、厳格に育て上げたそうです。

頑張って大きくしてきた会社は子供達に譲らず、自分の引退と共にたたみました。


奥さまから引退したら田舎暮らしをしたいという希望があり、障害のある長女さんと自然の豊かな場所に家を建て暮らしたそうです。


そんなお父さまを三兄弟は憎んでいました。


10年前に長女さんが他界、7年前に奥さまが他界し、しばらくの間、お父さまは一人暮らしをしていましたが、脳梗塞を起こし入院することになりました。

脳梗塞の発見も早く命に別状はなく、左半身に少し麻痺は残りましたがすぐに退院できることになりました。


退院したとはいえ以前と同じように一人暮らしをすることは難しく、誰が引き取るかという問題が生まれました。


しかし、ご兄弟はみんなお父さまが嫌いです。


引退後の田舎暮らしで財産もほとんど残っていません。

誰も引き取ろうとしませんでした。

「どうせあと数年で亡くなるだろ。お前の所で引き取れ!」


お父さまは家族会議の結果、長男、次男から押し付けられる形で三男のところに身を寄せることになりました。

長男、次男はそれぞれ子供と孫と3世代で暮らしているため同居は出来ず、三男は二人の息子とも独立しているのだから同居できるだろうとの理由からの決定でした。


ご兄弟の内情を考えると、自営業を営みほとんど自宅にいない三男も渋々受け入れるしかなかったそうです。


こうした理由から、三男のお嫁さんによる手探りの介護が始まりました。


お父さまはデイサービスに通うことは拒否しましたが、好きな園芸などが楽しめる市の無料サービスへは週3回通っていました。


それ以外の日は、自分の好きな時間にお散歩に出かけたり、近くのコンビニやスーパーへおやつを買いにいったりと、お互いに程よい距離感を持って暮らしていました。


お嫁さんは、これならお父さまとの同居も大丈夫だろうと思っていましたが、その時間も長くは続かなかったのです。

厳格な威厳を保ちたいお父さまの性格は日増しに頑固さが増し、普段から“感謝”の言葉一つ無いのにお嫁さんに対する態度は日を追うごとに横柄になっていきました。


それでも我慢し自分の内にストレスを溜め込みながら献身的に日々の生活の面倒を看ていたのです。


「いつも良くやってくれている」と言ってくれる三男さんの言葉が救いでした。

ある時期から買い物に行ったきり帰って来ないことが増えました。

道で転んだり、迷子になっていたり、万引きに間違えられたりすることが増えました。


脳梗塞の後遺症で脳血管性の認知症を発症していたのです。


お父さまの行動は変わりませんでしたが、家の電話番号は覚えていたため、何かある度に家の電話が鳴り、お嫁さんが迎えに行くと言う事が日常的になりました。


お嫁さんの負担を減らそうと三男さんの携帯番号など連絡先情報を書いたカードをネックストラップに付け携帯してもらうようにしました。


この頃になるとお嫁さんは家の電話が鳴るのが恐怖に感じる程の、うつ状態に陥っていました。

さらに、それまでお父さまの介護に干渉してくることが無かった長男・次男夫婦から「あんたがちゃんと面倒見てないからそんなことになるんだろ」と、責められていました。

(なんでそんな事言われなきゃいけないんだろう?だったらあなた達が面倒みればいいじゃない!)


心では思っていても口に出すことはできません。

やっとの思いで口にしたのが「離婚してほしい」でした。


三男さんもご兄弟との縁を切ってまでお嫁さんを守ろうとしましたが、電話やメールまで止めることはできず、お嫁さんが責められることは無くならなかったのです。

そんな折、妻がここまで追い詰められ、どうしたら良いのかわからない、と三男さんからご相談をいただきました。


まずお嫁さんのカウンセリングを始める



カウンセラーとしてまず、


「7年間良く頑張ってきました。」


と、お声がけいたしました。


お嫁さんはこれまでの経緯を涙ながらに話してくれました。


三男さんもできる範囲で助けてくれているし、守ってくれていることに“感謝”はしているが、これ以上お父さまの介護をすることは無理だし、他のご兄弟とも一切関わりたくないという気持ちを吐き出し、これからのことをご夫婦と一緒に話し合いました。

要介護1の認定を受けて以来、使っているサービスは週3回の市の無料サービスと週1回のデイサービスのみであることがわかりました。


市の無料サービスは半日で終了してしまうのでお嫁さんの気持ちが休まる時間はありません。

ショートステイのご利用経験はありましたが、息子さんの結婚式で外泊した1回だけであることもわかりました。


レスパイトでのショートステイ利用を知らなかったのです。

※レスパイト:“一時休止”、“休息”、“息抜き”を意味する言葉。介護にあたるご家族が一時的に介護から解放されるよう、代理の機関や公的サービスなどが一時的に介護等を行うことで、ご家族の皆様とご本人様がリフレッシュできる期間を作るさまざまな支援サービスのこと。

そこでまずショートステイ利用をご提案いたしました。

ショートステイを使ってお嫁さんの心の負担を減らすことで、気持ちを少しずつ前向きにすることを意図しての事です。


ショートステイのご利用がお嫁さんのストレス緩和に効果的であったことが幸いし、なんとか「離婚」は避けることができました。


特養入居を見越して、ショートステイ利用



次にケアマネジャーに相談し、レスパイトでのショートステイを利用してから、どのような入居施設があるのかを細かく説明をしていきました。


家の近くに特養があるので最終的にはそこに入居させたい、というのが三男さんの考えでしたが、現在の要介護度は1です。


普段は杖も使わずに歩いていますが、ふらつきは見られますし、転倒することもあります。

ショートステイでは転倒リスクを避ける為に車椅子を利用しているとのことなので、一度区分変更するべきかケアマネジャーに相談してみることを勧めました。

すると、要介護3の判定が出ため特養の申込基準を満たしました。

すぐに特養に申し込んだものの入居の優先順位は低く、ご入居までに数年かかるかもしれないと言われてしまいました。


これを受けてご夫婦さまからの要望もあり、カウンセリングから老人ホーム紹介のご相談へ切り替わりました。


施設選びの条件は、


ご予算は本人の年金で賄える範囲内

施設の立地は車で行けるエリア


とのことでした。


三男さんのご自宅から車で40分ほどの所にある住宅型有料老人ホームが条件に合いそうでしたが、どうしても年金より2万円ほどアシが出てしまいます。


しかし、特別養護老人ホームの概算費用と1万円もかわりませんでした。

三男さんご夫婦もその程度の出費であればと、納得され施設見学に行きました。

施設を見学してみて、それまでの老人ホームの印象がガラッとかわったとおっしゃっていました。


ここなら看取るところまで居させてもらっても良いかもしれない、という気持ちになったとおっしゃり、すぐに入居申込みをされました。


介護は誰かの犠牲の上に成り立つものではない


「後先短いんだから」と無責任に押し付けられ始まった介護も気付けば7年。


人間の寿命など誰にもわかりません。


末期の癌と余命宣告を受けても、何年も普通に生きている患者さんもいます。

介護も同様に、何年続くかなど誰にもわからないのです。


老人ホームに親を入居させることは、親を捨てることでも介護を放棄することでもありません。

無理をして自分の身体を壊したり、家庭を壊してしまう事を肉親が望むでしょうか?


「家」に居たい気持ちは誰にもありますが、新たな住み家も時が経てば住み良い「家」になるものです。


私は相談員として今回の事例に限らず、介護は誰かの犠牲で成り立ってはいけないと思うのです。


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